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1997年3月30日。

前日のバリオホールでの合唱の演奏会で歌い終えた私は、西へ向かう新幹線の車中に居た。

1ヶ月前に内示を受けた異動により、東京を離れ、赴任地の大阪に向かっていた。

車窓には、ちょうど見ごろを迎えていた桜。

ラジオのダイヤルを合わせて聴いていた、新幹線ミュージックチャンネルでは、槇原敬之の「遠く遠く」。

これらが、住み慣れた首都圏を初めて離れる私を励ましてくれた。

自分は大阪に根を張る、と心を決めたときでもあった。
今は更に西に居を移しているが、最終的には大阪に腰を落ち着けようという思いは変わらない。


16年経った3月30日。
あの時のことを思い出しながら、徳山で満開になった桜を眺めていた。

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容姿の事ではなく、演奏する時の話である。
(もちろん、容姿も大事ではあるが、自分自身がダメダメなのでそこへの言及は避ける。)

歌う際の立ち姿が綺麗だったり、曲に合わせて表情を変えたり、身体の動きが出ると、その人からの声が際立って客席に届いているような気になる。特に知人がオンステしている演奏会ではそれを強く感じる。

譜持ちで舞台に上がる際にも、上記のことがうまくできていれば声が客席に届いてくる気がするし、逆に楽譜かじりつきで歌っている姿を見ると、「あぁ、この人の声は聞こえてこないな」と思ってしまう。

もう15年近く前のことだが、メンバーのほぼ全員が譜持ちでオンステした演奏会の後、聴きに来てくれた知人に「どうして私たちに向かって歌ってくれないの?」と責められたことがある。

実際のところは、きちんと声が飛んできてるのだと思うが、見た目でこういう判断されることもあるんだな。実際、自分もそういう感覚持ってるし。


私は暗譜至上主義ではない。むしろ譜持ちで舞台に立つことの方が多い。
但し、練習をしっかり積んでいる曲は、ほぼ譜面を落として歌える状態になっているのも事実である。逆に譜面が手元にないと歌えない曲は、自分が消化しきれずに歌っていることが多い。このことも、上記の判断を下すことと関係しているのかもしれない。


「この姿で歌ったら聴き手はどう思うか」普段の練習でもそんなことを意識しながら歌っていきたい。
そういえば、昔観たバーバーショップのビデオで、練習のことをRehearsalと呼んでいたっけ。そういう感覚でいなきゃだめなんだね。
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by h-katopon | 2013-03-24 10:26 | 音楽
2012-13シーズン9作目として上演されたのは、ヴェルディの「リゴレット」。

演目紹介は、こちらを参照いただきたい。

この作品、あらすじは知らなくても、何らかの断片に接している人は多いことと思う。

中でも有名と思われるのは、第3幕でマントヴァ公爵が歌うアリア「女心の歌」。テノールなら、是非とも歌いたいと憧れる1曲だろう。

私にとってはもう一つ。大学生となり、自分が合唱を始めて最初に聴きに行った演奏会(第39回東京六連)で早稲田が歌ったのがヴェルディのオペラ合唱曲集。その中に、この「リゴレット」から2曲が取り上げられていたのだ。どの場面で歌われていたものだったのかが、今回改めて分かった。

もともとの物語の設定は16世紀。しかし今回の演出では、何と1960年代のラスベガスという設定で描かれた。
公爵邸はカジノに変身。華やかな世界の裏で様々な思惑がうごめいている、という点では、「あぁなるほど、こんな描き方もあるか」と思いながら鑑賞した。

主役級となるのは、題名にもなっている、リゴレット(マントヴァ公爵に使える道化人)(バリトン)、その娘ジルダ(ソプラノ)、マントヴァ公爵(テノール)。それぞれ見事に歌い、演じていたと思うが、一番印象に残ったのは、この3人ではなく、リゴレットが、マントヴァ公爵への復讐のため暗殺を依頼したスパラフチーレを演じたステファン・コツァン(バス)。殺し屋に相応しい身のこなし、そして無駄のない細身の体から出される豊かな低音。彼の存在が際立っていたように思った。

一方で、ちょっと残念だな、と感じた点が3つある。

ひとつは、リゴレットの衣装。1960年代に道化役、というのが難しいとは思うが、スクリーンで観る限りは「ちょっと着合わせのセンスが悪いオジサン」の体に留まってしまったかな、という印象。

ふたつ目は、インタビューや幕前の解説で、今回の演出が斬新なこと、それに対してどう取り組んだかなどの話題が中心になったのは良いが、私のようにこの作品を初めて観る者にとっては「じゃ、普通はどうなの?」という点が分からない。そのあたりの比較紹介があっても良かったのかな、と思う。
(もっとも、今はネット上に多くの画像があるだろうから、それを見れば良いだけの話なのだろう。)

最後は、やはりインタビュー。歌手、演出家、美術担当の他に、今シーズンがMETデビューの指揮者ミケーレ・マリオッティを紹介してほしかった。もしかしたら、本人が断ったのかな?

いろいろ感じるところはあったが、こうして映画館で、安価に、着飾る必要もなくオペラを楽しむことができるのは非常にありがたい。MET、松竹、そのたスポンサーとなっている方々に感謝である。
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by h-katopon | 2013-03-17 16:45 | 音楽
つい最近参画し始めた団体の演奏会のご案内です。この演奏会が、私にとっての初舞台になります。広島周辺にお住まいの方、また広島に来れそうな方、ご来場お待ちしております。

入場料等詳細が未定のところもありますが、随時情報更新致します。今のうちからご予定いただけると嬉しいです。

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Hiroshima Bach Soloists 第28回定期演奏会 ~呉公演~
【日 時】 2013年5月18日(土)18:30-
【場 所】 カトリック呉教会
【曲 目】 カンタータ第198番「候妃よ、さらに一条の光を」BWV198 他
【出 演】 指 揮  寺沢 希
      合唱・管弦楽  Hiroshima Bach Soloists
【入場料】 未定

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Hiroshima Bach Soloists 第28回定期演奏会 ~広島公演~
【日 時】 2013年5月19日(日)16:00-
【場 所】 流川教会
【曲 目】 カンタータ第198番「候妃よ、さらに一条の光を」BWV198 他
【出 演】 指 揮  寺沢 希
      合唱・管弦楽  Hiroshima Bach Soloists
【入場料】 未定
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by h-katopon | 2013-03-13 21:39 | 音楽
先日このBlogで紹介したチーズケーキの店に立ち寄った時のこと。

店の方がこのBlogの記事を読んで下さったらしく、「感激しました」の一言を添えてお礼を頂いた。

しかも、他の記事も読んで下さったらしく、「書かれたい、と思いました」とまで言って下さった。

非常に有難いことである。

こうして人に感想を言っていただけることで、自分が書いた言葉が「そう取られていたのか」と認識することができる。

読んで下さる全ての方に響く文章はまだ書けないが、こうして、一人でもいいから、良い印象を持っていただいた方を大事にしながら言葉を綴っていきたい。改めてそう思った。

一方で、自分の発した言葉で相手を傷つけてしまったのではないか、という経験もしてしまった。これは改めねばならない。
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山口県民の私にとって、「3.11」は、ともすれば遠くで起こった出来事、となるところだった。
しかし、実際はそうはならず、混乱の渦中に少しだけ身を置くこととなった。

2011年3月11日 金曜日。

翌日からの横浜・東京での演奏会に備え、その日は休暇を取り、朝7時台の新幹線で東京へ移動していた。
東京駅から徒歩圏内のホテルに大きな荷物を置き、神田の蕎麦屋で昼食を取り、その後地下鉄に乗り溜池山王へ。社会人なりたての頃からお付き合いのある保険の営業の方とアポを取り、契約変更の手続きをすることになっていた。

首相官邸からほど近くにあったビルの会議室で、近況を話しつつ、手続の説明を受け、必要書類に署名捺印をしていた途中で、あの時が訪れた。

14時46分。東京で震度5強の地震。

横揺れが長い時間続いた。まずは閉じ込められるのを防がねば、と会議室のドアを開ける。まっすぐ立っていることができず、近くの壁につかまりながら揺れがおさまるのを待った。

こんな揺れがもう1回続いた(余震はもっとあったことは皆様ご存知の通りである)。
必要な手続きを済ませ、そのビルを後にした。溜池山王の交差点は、周辺のビルから出てくる人であふれ返っていた。その人混みを避けるようにして、アークヒルズ裏にあるカフェに入って気持ちを落ち着ける。その店も、いつものように心地よい音楽を流すのではなく、BGMはJ-WAVEのラジオ放送になっていた。首都圏の鉄道が完全に止まっていること、そしてそれよりも東北地方が大変なことになっていることを、そこで初めて知った。その後、芝大門まで歩いて移動。道すがら、幹線道路を大勢の人が歩く姿を見かける。中にはヘルメット着用の人も。16時ちょっと前の時間帯だったが、その時点で歩いて帰宅する人がいたのだと後で知った。

その日の夕方は、旧知の友人と芝大門で会って飲むことになっていたが、音信不通。とにかく、待ち合わせの店に行ってみることに。実は、その店自体が地震で崩れてないか、と心配にもなっていたが、無事で一安心。店の人も、店開きに合わせて登場。目当ての人とは結局会えなかったが、店の人や常連さんと話したり、私がたまたま持っていた小型ラジオで情報聴きながら周りのお客さんに伝えたりして過ごした。

その後、芝大門から日本橋本石町までを歩いて移動。ホテルで朝食を頼んでいなかったので、途中のコンビニに寄って調達しようとしたが、立ち寄った殆どの店で、食料品が空になっていた。僅かに残っていたものをかき集めるようにして、宿泊期間中の朝ごはんになりそうなものを確保。今にして思うと、「何があっても自分が食いつなぐため」という頭しかあのときにはなかった。それが本能なのだろうが、恥ずかしくもある。

東京滞在期間のエピソードは他にも色々あるが、書き出したらキリがなくなるのでこの辺で停めておこう。

三陸沖で、津波から命からがら逃げ切った方や大事な家族を失ってしまった方の比には全くならないが、東日本大震災は、その渦中にわずかながら居た出来事として、胸に刻まれている。


被害に遭われてしまった方々が、再び前向きに生きる力を取り戻し、前に進むことができますように。
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愛車デミオの購入以来の通算走行距離が80,000kmに到達した。

土曜日、寺漢練習のために広島まで行った帰り道での到達となった。

それとちょうど時を同じくして、さしかかったトンネルで事故車あり、の表示。
通りかかると、ワゴン車と大型トラックの追突のようだった。

そういえば、先週は職場近くの交差点でも事故があった(自損のようだった)。

いつも走っていてわかっているつもりの道でも油断は禁物。

次の10,000kmも、安全な運転を心掛けねば。
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