<   2009年 11月 ( 6 )   > この月の画像一覧

広島市内の教会での演奏会に出演してきた。

c0068901_2152292.jpg


閑静な住宅街に建つ教会。音はそれほど響き過ぎず、気持ちよく歌うことができた。

c0068901_2152219.jpg


振り返れば、この1年ほどの間に、教会で歌う機会が4度あった。
これまでに比べても頻度は高くなっている。

通常のホールとは違い、スポットライトは浴びず、また客席は暗くならない中で歌うので、お客様がどんな様子で聴いてくださっているかが手に取るようにわかる。うまくいったときは、お客様と一体感を持つ、非常に良い体験になるし、うまくいかないときは、歯がゆさが非常に大きい。

今日の演奏はどうだったろう。お客様の温かい拍手に感謝したい、という一言に尽きる。

一体感を持つ、というところまでは、あと一歩、というところか。
せっかく歌い手と聴き手がきちんと顔を合わせながら歌える機会なのに、楽譜から目を離せなかった人の多かったこと(私もそういう曲を残しながらの演奏となってしまった)。
そして、ほどよく響く教会で、その空間を十分に活用する(要は上に響かせる)歌い方ができなかったこと。

後者は、根本的な発声の問題でもあるので、きちんと腰を落ち着けて取り組みたい。
(まずは、自分がきちんと見本を示せるようにならねば・・・。)
前者は、心がけ次第ですぐにでもできる。

この合唱団が次に歌う機会は、やはり教会である。
そこで、教会で歌うにふさわしい音楽を作りたい。
[PR]
リッツカールトンのクレドに登場する「紳士淑女」という言葉。

では、その「紳士淑女」って、一体どんな人を指すのだろう。

身近に、その見本となる人がいる方は、非常にラッキーだと思う。その人を真似て自分の型として身につければよいのだから。

この「紳士淑女」に対して、リッツカールトンの高野登さんは、こんなことを言っておられたそうだ。

紳士淑女とは、いかなる人にも不快な思いをさせないことだ



この一言を聞いて「なるほど」とうなずくことはできても、「では、あなたはそれを実践できているか?」と問われ、「はい」と言い切れる人は、おそらく一握りの人だろう。私自身も、恥ずかしながら「いいえ」である。

日ごろから意識できるよう、手帳にも書きとめておかねばならない一言である。
[PR]
年賀状の文面を考えている際、来年は40歳になる、ということもあり、2つの言葉が頭をよぎった。

一つは、論語にある「四十にして惑わず」

もう一つは、米元大統領のリンカーンが言ったとされている「男は40を過ぎたら、自分の顔に責任を持て」

40歳まであと11カ月を切った。

来年の10月8日に、この2つの言葉と堂々と対峙できる自分になっているだろうか。

少々不安はあるし、むしろ、10年遅れで「三十にして立つ」ならぬ「四十にして立つ」の方があてはまっているような気がする。焦らず、しかしのんびりしすぎず、自分なりのペースを守りながら、人生という道を進んでいくことにしよう。
[PR]
朝、仕事を始める前に新聞のコラムを書き写すようになってから、3年近い月日が経っているだろうか。

「こんなことをずっと続けている人がいる」という話を聞いたことから「では、自分も」と思い立ち、本当に忙しいときにはパスしているが、朝のウオーミングアップとばかりにペンを走らせている。

最初は、安いノートにボールペンで書いていたが、ここ半年は、ボールペンを万年筆に変え、ノートも、それに合わせて少々値段の張るものに変えている。これにより、書くという行為に集中する度合いが強くなっている。

もともときれいな字を書けない私。だから、こういうときこそ、極力丁寧に書こうとするのだが、直後に始まる仕事のことを考え、気持ちが落ち着かないときなどは、もともと乱れ気味の文字がさらに乱れ、書き間違いも連発してしまう。

もともと「わかりやすい」と評されることの多い私。だから、日ごろの行動や言動から心中が読まれてしまうこともあるのだろう。それが字の乱れという、自分にもわかりやすい形で現れてしまうとは・・・。

「どんなことにも振り回されず、動じない自分」への道はまだ遠い。
[PR]
それは悲しみではありはしない


谷川俊太郎氏の詩「九月のうた」の冒頭である。

今日、福山市で開かれた「コロフェスタ2009 inふくやま」で、この詩をテキストとして寺嶋陸也氏が作曲した作品を歌う機会を得た。

「ある」にとっては大事な、そして10年前に38歳の若さで突然世を去ってしまった田畑政治氏との思い出に、と作ってくださったものだ。

谷川氏の詩は、行間で感じさせるものが非常に多い。
この詩も、やはりそうであった。

「九月のうた」は次のように結ばれる。

悲しみはいつも
私にとって
見知らぬ感情なのだ

あなたのせいではない
私のせいでもない


「本当はそうじゃない、今、悲しみに満ち溢れてしかたがないんだ」
寺嶋氏がつけてくれた音、そして、今日この曲を指揮した姿を見て、そんな思いを託して歌い上げた。


気がつけば、「ある」で歌い始めて、間もなく1年が経とうとしている。

今日、この歌を一緒に歌うことを通じて、皆がこの合唱団で歌うときに持っているであろう、ひとつの大事な思いを、理解する鍵を見つけられたと思う。

c0068901_22312119.jpg

[PR]
そのことは、今年に入ってからずいぶんと気になっていた。

あるものは、特定の店に限定してつけるものを設定するなどの手を使い、
またあるものは、本体と同じくらいのエネルギーを割いてそのものに取り組む。

雑誌につくようになった付録のことである。

先日、ニュースのチェックに、と見ていたテレビ番組で、ある雑誌の編集の
模様が特集されていた。

その雑誌の編集者が言っていたのが、本誌と同じくらいに、付録選びにも
力を注いでいる、ということだった。

あらためて書店を覗いてみた。
付録がついている雑誌は、おそらく20代~30代をターゲットにした雑誌
である。女性向けのものが多いが、男性も手に取りそうな雑誌にも時折
付録がついている。

私もぎりぎりでそうしたターゲットになるのだが、わが身を振り返れば、
子供の頃は、定期購読していた学習雑誌の付録を楽しみにしていた。
本誌を開くより先に付録の中身を開け、それに関連したところから先に
本誌を読む(いや眺める かな?)のが常だった。

「三つ子の魂百まで」を当てはめるのは大げさかもしれないが、子供
時代のそうした体験を刺激して購入させよう、という作戦なのか。

それとも、懐事情が悪くなり、「おまけでついてくるもの」をあてにする
ようになったのだろうか。


それにしても、雑誌に付録がつくようになって困っていることがある。
付録が付いているものは、それだけ抜き出されないよう、ビニール
テープで縛られているものが多い。

そのため、付録は関係なしに立ち読みで記事を観よう、と思っても
できないことだ。
[PR]