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この前の週末、「第24回宝塚国際室内合唱コンクール」に出場してきた。
今回のコンクールのために結成された「Guiness Singers」の一員として。

ロマン派、シアターピース、ルネサンス、フォークロアの4つのカテゴリーのうち、我々が参加したのはロマン派。そして、結果は、金賞を受賞した。

このコンクールは、カテゴリーを越えたところで総合順位がつけられるのだが、我々はその順位がつくまでには届かなかった。

土曜日がコンクール、そして、金賞をいただいたことで、日曜日の入賞団体演奏会にも出演。そんなときにでも、NCやYKの練習は普通にある。単に歌いとおしの週末はほぼ毎週のようにあるが、2日連続で宝塚と桜ノ宮を行ったりきたりしながらの歌いとおしは、さすがにしんどかった。

日曜日の演奏会。私の過去の記憶では、チケットを取るのも大変なくらいに人が集まったのだが、今回、舞台から見えた風景は、その記憶とはかなり異なった。「国際」と銘打ちながら海外から参加したのは1団体だけだったこと、演奏会のチケットが、通常の合唱団の演奏会よりは高めの設定だったこと、など、色々と要因はあるのだろうが、このことは少し残念に感じられた。

まばらな客席の中で、我々が歌っている間中ニコニコしながら聴いて下さっているお客様の姿を見つけた。非常にありがたいことである。

できるだけ多くの方に聴きに来て欲しい、と思い、それを目指して行動する一方、仮に客席に空席が目立つ中でも、貴重な時間を割いて聴きに来てくださった方のためにも、演奏ではベストを尽くしたい。でないと、今回客席に見つけた素敵な笑顔には出会うことができない。

「そんな姿勢で舞台に上がるの、聴いていただく方々に失礼じゃないですか」と思う場面もいくつか見られた。自分が同じ過ちをしないよう、気をつけねばならない。
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by h-katopon | 2008-07-28 23:21 | 音楽
音楽を聴いていて、印象に残ったものは、大概がCDで聴いたものではなく、コンサートホールに足を運んで聴いたものである。

もちろん、家の音響設備がそれほど整っているわけではない、というのもある。
しかし、自分も、周りも「この演奏を聴く!」というただ1つの目的でホールに集まり、音楽が奏でられる空間に身を置くのと、ほかの事をしながらでも聞くことができる家のリビングでは、受け取り方が大きく違ってくる。

人の話もそうだ。

最近、レクチャーCDをよく聴いている。なかなかいい講演やセミナーを見つけても行くことができない(今から考えると、聴きに行こうと行動を起こしていなかっただけなのだが)現状にあって、これも大いに助かる。しかし、会場に足を運び、生で話を聴くほうが、同じ内容の話を聴くのでも、心への届き方が異なる。やはり話を聴くことにより集中しているからなのだろう。
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野茂英雄投手が、現役を退くことを決めたと報じられた。

今でこそ驚きではなくなった日本人メジャーリーガー。その流れを作ったのが野茂であったことは、今更ここで書くまでもない事実だ。

周囲の反対や冷たい視線にもめげず、しかもストライキを起こしていた大リーグに乗り込み、日本人初のオールスター出場、両リーグでのノーヒットノーランを果たすなど、輝かしい実績を挙げた。

しかし、その輝きの部分より、思うように成績が上げられず苦しんでいた印象が強い。
今年、久しぶりにメジャーのマウンドに上がったものの、結果が芳しくなく球団から戦力外通告を受け、他球団からのオファーもないまま、今回の決断となった。

新しい物事に取り組もうとするとき、その第一歩が一番エネルギーが必要だと言われる。
その意味では、日本人野球選手にとっての第一歩(本当は、それより前に一人、メジャーでプレーした選手がいることも承知しているが、今、数多くいる日本人メジャーリーガーの草分けは、やはり野茂だろう)を踏み出した野茂は、永く球史に名を残すに値する選手だろう。

心から、お疲れ様、と言いたい。

また、引き際について考えさせられるきっかけとなる出来事にもなった。
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今年の大阪は、入梅は早かったものの、明けるのは平年に近い時期になりそうだ。

「実は、6月中に明けていました」なんて宣言がされるのかな、とも思っていたが、忘れたころに梅雨前線が姿を現している。この前線がもたらす雨が、梅雨の終わりを告げることになるのだろうか。
折しも祇園祭が一番の盛り上がりを見せる時期。せっかくの祭りが雨で台無しにならないことを願うばかりである。

夜、家の近所を歩いていると、一時期まで賑やかだった田んぼでの蛙の大合唱も聴かれなくなってきた。その代わり、朝、いたるところで、エネルギーを奪われるような蝉の大合唱を耳にするようになった。

完全に、夏に突入した、と言ってもいいだろう。
早速各地で猛暑日になったことが、ニュースで告げられている。今年も非常に暑くなりそうだ。

そして、その暑さが少し和らぎ始めた頃、私が今の家に移ってから3周年を迎える。
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人に何かを贈るとき、「この人はこんなものが好みだから」と事前に抜かりなくチェックできている場合がほとんどないのが私の現状である。

こんなとき、気心知れた友人へのプレゼントの場合、無意識のうちに「自分の好みのもので、贈る相手にも気に入ってもらえたらなぁ」との思いで選んでいることが多い。

このとき、一方では、「自分の好みの押し付けになるのが嫌だなぁ」との思いも働いてしまう。

一方で、「これ、私のお気に入りです」と薦められる形で自分がプレゼントされるのは大歓迎である。それをきっかけに、自分の引き出しが増える、と実感できるものもある。

結局のところ、自分がプレゼントする側にある場合、「これを気に入ってもらえなかったらどうしよう」と深刻になっているのだろう。自分が好みを示さないが多くの人に人気のあるものを選ぶよりも、世間で売れているかは別にして、自分が心の底から気に入っているものを贈るほうが、気持ちを込めやすいと思うのだが・・・。

先日、京都で歌った際、友人から、お気に入りの音楽の入ったCDをプレゼントしていただいた。
ニアミスばかりでまだ顔を合わせたことのないその友人が選んでくれたのは、私の好みのものばかり。「あれ、いつの間にこんなところまで読まれてた」と驚きつつ、今夜から少しずつ楽しんでいる。
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きっかけは、大学生時代、寝たきりの祖母の介護を自宅でしていたとき、母が腰を痛めてしまい、施術してもらいに行く送り迎えをしていたときだった。

私は、小中学生の頃から肩こりが気になっていたのだが、その話を母がしたところ、「じゃ、今度見て見ましょう」ということになり、送り迎えの運転手から、施術される人に代わった。

今から17年前、私はこうしてカイロプラクティックという存在を知り、体にハリを感じると足を運ぶようになった。

ここ2年ほど、行く時間が取れず、また、我慢できないほどの体のハリもなかったので、足が遠のいていたのだが、この2週間ほど、我慢できない状態になっていたので、土曜日に行ってきた。

骨盤から上に向かって、1つずつ骨のずれをアジャストされる。最初は、ゴリッとした音が怖かったが、今は快感になっている。

この治療院、約2年前に行った前回から、息子さんが一緒に施術に加わっている。

前回はマッサージのみ。今回は一通り体に触れて気になるズレをチェックしてくれた。

次に行く機会には、もしかしたらアジャストまでやってもらえるのかもしれない。是非とも今後を応援したいところだ。もっとも、私自身にとっては、カイロにかからなくても大丈夫な状態を保つことが一番やらねばならないことだが。
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朝、梅田から御堂筋を南下して職場へ向かうときのこと。

大阪市役所、日銀大阪支店の間を通り抜け、淀屋橋のビル街に差し掛かったところで、時折、ごみ拾いをする人の群れを見かける。

見ると、おそろいのタオルを首にかけており、そこにはしっかりと会社名が入っている。
そこが鼻につく気がするが、やっている行動自体は素晴らしいことである。

また、こうした会社ぐるみでの取り組みとは別に、リュックを背負い、右手にトング、左手にゴミ袋、といういでたちで、見かけたゴミを拾いながら歩いていくスーツ姿の男性を時々見かける。

逆に言えば、それだけ路上にゴミを平気で捨てていく人が多い、ということである。実際、そんな人も時々見かける。朝よりむしろ、夜の方が多いかな。

自主的にゴミ拾いをする方々に感謝しつつ、その行為が必要になる事態が恥ずかしい。
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19年前、通っていた予備校の英語講師が、講義中、ことあるごとに語っていた言葉である。

その講師の授業は、他の講師に比べて、非常に熱いものだった。その熱さに圧倒されながら、1コマ90分の授業は、いつも、あっという間に終わっている、という印象だけが残った。

あの当時、「与えられた場所」の一言が、私にはひっかかっていた。
「場所」は、与えられるものではなく、自分で作るものだ。そんな思いが強かった。


あれから19年が経った。

自分が輝く「場所」を見つけるのは大変なこと。それも、無から始めることが難しいこと。それより大事なのは、たとえ「与えられた場所」でも、「自らの責任で選んだ場所」と考えて、その場で出来ることを積み重ねていくこと。人の話を聴いて、そして自らの経験を通して、これらの考えが備わったところで、「与えられた場所で完全燃焼する」の一言が、すんなりと受け入れられるようになった。
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