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最近読んでいた本で紹介されていた一言にハッとした。

それは、 Time is life. という一言。

Time is money がよく聴かれるが、失ったお金はあとで稼いで取り戻すことができるが、失った時間を取り戻すことはできない。

その本に付属のCDでは、こんなことが語られていた。

今やらなくていつやるのですか?
ここでやらなくてどこでやるのですか?
あなたがやらなくてだれがやるのですか?


耳に痛い言葉であるが、今よりもより良い自分になるために大事な言葉として、胸に刻んでおく。
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最近、ふとしたときに高校時代の記憶がよみがえることが多い。

高校時代の私は、ひたすら軟式テニス(いつの間にか名称はソフトテニスになった。そして、もしかしたらルールも変わってるのかな)に明け暮れていた。

ナイター照明のあるコートで夜7時過ぎまでボールをおいかけて走り回り、冬場は筋トレと走りこみ。帰宅して夕食を摂りながら寝ていた、ということもしばしば。

テニスでは結果が出なかったが、そのおかげで得るものもあったし、受験勉強など別の場面でのピンチの切り抜け方など、その失敗が生きた。

ともすれば単調だった練習。しかし、そこに自分なりの意味づけや課題をもって、一つ一つのプレーに真剣に取り組んだ者が、結果を出していた。

20年以上も経って、あの頃を思い出すのは、やはり、今、地道にこつこつと積み上げることが足りないからなのだろう。
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GW以来、約1ヶ月ぶりにレッスンを受けに行ってきた。

師匠の指摘、頭では理解できるのだが、理解することと実践できることは全く別の次元の話だ、ということを思い知らされた今回のレッスンだった。

体に浸透するまでに習慣化するには、1年は必要、という人もいる。

すぐに結果が出ないから、と投げ出すのではなく、飽きずに、こつこつと改善に向けた取り組みが必要だ。これは、歌だけでなく、全てのことに当てはまる。

できることしかできない。だから、できることを、飽きずに、心を込めてやる。絶えず自分にこう言い聞かせることにしよう。
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by h-katopon | 2008-05-25 21:34 | 音楽
13年間使ってきた我が家のコーヒーメーカーが、ついにお役御免となってしまった。

今朝、ガラス容器が割れたのが第一の原因。これだけなら、容器だけ買い換えれば済む(実際、一度容器を買い換えたことがある)。

しかし、この半年くらい、頻繁に使うようになってから、ミルに豆を入れても全てを挽き終わる前に湯を沸かしてドリップをやろうとする現象がときどき見られた。そのため、「これは潮時か」と、買い換えることにした。

仕事帰りに、梅田のヨドバシカメラで物色。ミル付きのコーヒーメーカーはなかなかないなぁ、と思いながら売り場をうろうろする。「ミル付き見つけた!」と、改めてじーっと観てみると、何と私が今朝まで使っていたものと同じ形のものだった。

13年経って、豆のひき方を選べるようになる点で進歩はあるが、大きく変わるところはない。
そうか。何も意識しないで選んでいたが、ロングセラー商品だったのか。

じゃ、これに決めた、と思いきやさにあらず。
機種を変えて気分を変えてみよう、と、売れ筋商品として飾られていたもの(ミルなし)を選択。ミルも別途購入した。

明日の朝、早速こいつを使ってコーヒーを淹れることにしよう。
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前回書いた、「サライ」の最新号には、落語の名演のCDが付いている。

誌面と合わせる形で、今回収録されていたのは、五代目小さんの名演である。

三本収録されている噺の中で、まず最初に聴けるのは「時蕎麦」。蕎麦をすする演技の上手さに、音を聴いているだけでも、ついつい蕎麦を食べたくなってしまう。話の筋も面白い。

「サライ」の中で紹介されていたのだが、実はこの作品、上方落語の「時うどん」を、三代目小さんが東京に移植したものだそうな。これも一種の「パクリ」である。

違う国での「パクリ」(いわゆる違法コピー)には、憤りを感じることもあるが、技は教わるものではなく自分で盗むもの、とか、「学ぶ」は「まねぶ」が語源だ、など、先人の教えや技に学ぶことは、大事なこと。「型破り」も、一度きちんと型を覚えた上で自分流に崩すのであって、それがなければ「形無し」で、地に足のついたものにはならない。

違法にパクられるのは問題だが、いいものはどんどん真似されるもの。

自分でも、1つだけでもいいから、誰かに真似してもらえるような強みや得意技を持っていたいものである。
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学生時代から、ときどき買っている雑誌「サライ」。

最新号での特集は、落語である。
この何ヶ月かの間に、3度特集が組まれており、ブームがくるのかな、などと思いながら購入した。

今回、特に焦点が当てられているのは、6年前の今頃に天国へ旅立たれた、五代目柳家小さん師匠。家族のこと、愛した食のこと、話芸のことなどがいろいろと紹介されている。

ところどころにちりばめられている、師匠の言葉に、「そうだよな」と思う一言が綴られていた。

弟子であり、息子である六代目小さん(当時は柳家三語楼)が、繰り返し聞かされた言葉である。

愚痴をいうな。その暇があったら稽古をすりゃあいい。世の中は廻っている、自分の出番は必ずくる。その準備を今しておくんだ。


「果報は寝て待て」などという言葉もあるが、やはり、チャンスは、その準備をしっかり積んで、しかも「いつでも来い」と構えて待っている人のもとに訪れるものである。自分がうまくいかないのは周りのせい、などと不満をたらたらこぼす気持ちもわからなくはないが、そこから生まれるものは何もない。

自分への備忘録として書き留めておこう。
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NC練習から帰宅して、日経の夕刊を開いたところで、この記事に目が止まった。

ロバート・モンダヴィ氏 死去
記事はこちら

私がワインに関心を持ち始めたきっかけは、東京に居た頃に歌仲間の家に泊まりに行ったときのこと。

その家で出された、カリフォルニアの白ワインが、非常にすっきりした味わいで、とても気に入った。

それと同じワインを、私の生活範囲で見つけることはできなかったが、「似たものはないかな」と探しているときに見つけたのが、ロバート・モンダヴィのシャルドネだった(と思う)。

記事によれば、カリフォルニアワイン全体の広報宣伝にも尽力されたとのこと。かつては「第三世界のワイン」として他の国のものと一緒くたに扱われていたが、いつのまにかカリフォルニアはワインの一大勢力となったといってもいいだろう。

ご冥福をお祈りいたします。
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by h-katopon | 2008-05-17 22:44
5月15日。昭和の初期に、首相官邸に将校が押し入って犬養毅首相を暗殺する、あの「五・一五事件」があった日である。

歴史の教科書にも載った「話せばわかる」「問答無用」のやりとり。私の記憶には、なぜかそれが強く残っている。


実生活に照らし合わせて考えると、「話せばわかる」より「話さなければわからない」という方がしっくりくるだろうか。

言葉を交わさずとも、お互いの心が読める、なんてことは、滅多にありえないし、あったとしても、両者の間に深い信頼関係が生まれていることが前提となるだろう。

言葉は、ある時には凶器として人を傷つけ、またあるときには人を優しく包んでくれる。
どんな言葉がどんな効果を発するか。それは、同じ言葉でも、発する相手、場面、言い方、などによって違う。しかし、それを恐れていたら、何も事態は変わらない。

自分はどうだろう。とにかく話してみる、という、大事な第一歩を踏み出せていなかったことが、過去には多かったかな。
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昨年までは、出社する前に、職場近くのタリーズに寄って本や新聞を読むのを日課にしていた。

それが、家で淹れたコーヒーを500mlのポットにつめて持っていくようになって、タリーズに寄るのは、家で豆が切れたときだけになってしまっていた。

先週の土曜日、NC練習に行く前に出勤したとき、「久しぶりに珈琲買って会社に持ち込もう」と思い、立ち寄ったところ、これまた久しぶりに顔なじみの店員に会うことができた。

「お久しぶりですね。最近お仕事忙しいんですか?」と声かけられたところからしばしの間会話がはずんだ。毎朝通うのをやめてから半年近く経つのに、きちんと覚えてくれていることが、非常に嬉しかった。
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なにわコラリアーズ 第14回演奏会 無事に終了いたしました。

ご来場いただいた皆様、陰で支えてくださった皆様、そして、どこかで応援してくださっている皆様、本当にありがとうございました。

開演時、一杯のお客様で埋め尽くされた客席を見たとたん、目頭が熱くなりました。

生演奏でつき物の傷やちょっとしたハプニングなどはございましたが、「今、この場所で歌うことのできる幸せ」を感じながら歌いきることができました。

その思いが客席に届くよう、もっと表情豊かに歌えることを目指して、また精進の日々が始まります。
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by h-katopon | 2008-05-11 21:12 | 音楽