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銀座・新橋で東京勤務時代の歌仲間と飲み納めをし、銀座で一泊の後、先ほど実家にたどり着いた。

11月頃の日記に書いたように、私が家を出てから建て替えた家なので、特別の愛着は少ないのだが、なんとなくホッと一息する。

ほとんど気持ちの余裕もなく突っ走った2006年も、あと数時間で終わりである。

駅伝でたとえるなら、区間記録を塗り替えるような素晴らしい走り、ではなく、ブレーキになりながらも、そしてふらふらになりながらも、繰り上げスタート寸前でようやく中継所にたどり着いた、という感覚が強く支配している。

自分で料理する習慣つけたり、ジム通いを始めたりと、これまでの生活から変えたこともいくつかある。これはきちんと継続したい。

何事にも、積極的に頑張る。そして、辛いときこそ、笑顔。

学生時代、友人からもらった手紙に書かれていた一言である。

友人がモットーとしていること、として教えてくれたもの。10数年経った今、私もその言葉を自分に言い聞かせながら、来るべき2007年を迎えることにしよう。


お読みになっている皆様にとりまして、新しい年が良い年になりますように。
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by h-katopon | 2006-12-31 15:02
27日・28日の両日、ザ・シンフォニーホールで「21世紀の第九」に出演してきた。
(佐渡裕指揮 大阪センチュリー管弦楽団)

第九は2度目になるが、最初は野外で歌う企画、しかも出演者は皆男ばかり(1918年、鳴門でのドイツ軍俘虜たちによる日本初演を再現した企画)だったので、一般的なスタイルで歌う第九は今回が初めてのことであった。

佐渡人気が手伝ってか、2日間ともほぼ満席。しかも、補助席は出るわ1階席後方に立ち見客は出るわで、舞台に上がった瞬間から驚きっぱなしであった。


佐渡氏のタクトに煽られ(?)、声高らかに歓喜の歌をホールに届け、私自身の2006年の歌い納めとなった。

曲が終わった後、「ブラボー」の声と共に、360度から割れんばかりの拍手。10分近くは続いていたと思う。不覚にも、目頭が熱くなった。こんな感覚、10年前、アラウンドシンガーズに加わりカーネギーホールで歌って以来であった。

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明けて今日は、仕事納めの日。全国大会前後から続いた多忙な日々も、とりあえず一区切り。
思いがけず、年明け初日(1月5日)に休みを取ることを勧められ、それに従うことに。明日から11連休。まるで子供の冬休みである(爆)

しかし、1月いっぱい、いや場合によっては2月まで、半端じゃない忙しさが待っていることは想像に難くないので、とにかく休養最優先でこの休みを過ごすことにしよう。

明日は大阪を離れ、東へと移動する。東京で一泊した後に、実家に戻って年越しである。
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明日(明けて今日)から2日間行われる第九のオケ合わせのため、服部緑地へ行ってきた。
今回オケを演奏する楽団の練習場がこの一角にある。

この服部緑地。家からも歩いて30~40分で行かれる場所なので、散歩コースにしても良いのだがこれまで全く訪れたことがなかった。まさに近くて遠い場所だったのだ。

今回訪れたのは夜だから、全く周りの景色など見えもしない。

新緑の季節に、散歩しに来ようかな。
こうして先延ばしにするのが、実現を阻むわけだが。


今日が指揮者・佐渡裕と初のご対面。いたって淡々と練習をこなしているような雰囲気。
これが本番でどう変わるのか、楽しみである。

練習の後、まっすぐ帰って翌日に備えるつもりだったが、仕事が中途半端で切り上げたため、職場に戻り、終電逃して帰ってきたのは我ながらまぬけであった。
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マクドナルドが「メガマック」なる商品を出すと今朝の新聞が報じていた。

ビックマックのパティの枚数を倍にしたものらしい。

米・中ではやっているのを日本に持ってきたもので、20代男性を主なターゲットにしているらしい。754Kcalとかなりの高カロリー。失礼を承知で言うなら、ジャンクフードの王者、といった感じだ。

ボリュームある商品、という意味では、少し前から流行っている「佐世保バーガー」への対抗策だろうか。

あまり野菜ははさまっていない感じである。もっとも、こういうところ野菜出されたとしても、工場で加工されたものだろうから、色が変わらないよういろいろな薬品に浸しているのだろう。

こんな企業が、どうやら食育についていろいろ唱えているらしい。

自らが事業をたたむことが、もっとも食育に貢献するのだが、と思うのは私だけだろうか。
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by h-katopon | 2006-12-22 00:38 | 食、酒
この数年ほど、本を読む量が増えている。

最初は、自分が壁にぶち当たったときの突破口探し。
それ以外には、仕事や、当時資格取得に向けてやっていた勉強に絡んだもの。

最近では、新聞の広告や雑誌の書評、書き写しをしている新聞のコラムで採り上げられていた、といった、至極単純なきっかけで本を購入している。

今、読んでいるのは、「清貧の思想」(中野孝治著)。

たまたま家でテレビをつけていたとき、「下流社会」の話題になり、あるコメンテーターが、「一昔前は『清貧』って言ってましたよね」と言っていたのが頭に止まり、「そういえば、あの本読んでいなかったよな」と思い、翌日書店で購入したものである。

新聞のコラム写しをやるようになって、ビジネス以外の、これまで比較的関心が薄かったことにも、自分のアンテナが張られてきつつある。読書も、何だか乱読になっていきそうな感じだが、変に抑制をかけたりせず、自分の気が赴くままに本を手にとっていこうと思っている。
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12月に入ったあたりから、来年のカレンダーや手帳が文具店を始め至る所で出され、人々が2007年の自分の動きを記すモノを探している風景が目立つようになってきた。

この手の作業をぎりぎりまでやらない私だが、今年は、手帳が出始めた9月に既に購入。2007年版と言いつつ今年の11月下旬あたりから書き込めるようになっているので、2冊持ち歩いてオーバーラップしている。

私の場合、スケジュールの書き込みだけでなく、読んだ本や雑誌のなかで気になる言葉を付箋に書いて手帳に貼り付ける、ということをしている。

さすがに、これを来年の手帳に引き継ぐのでは来年書きとめたものを貼り付ける場所がないので、それらを貼り付けるためのノートを1冊用意し、付箋を移動させると共に、今、それを見て思うことを(全ての付箋に対してではないが)書き込んでいる。まさに「雑記帳」である。

付箋を移しかえながら、どんなことに関心を持っていたか、何を悩んでいたのか。日々の生活に追われて忘れかけてたことを思い出す。この作業は、自分自身の2006年の棚卸になっている。

このBlogも、その雑記帳の目的で始めたものであるが、やはり頭が整理しきれないために人目にさらせないこともあるし(そういうのは非公開にすればいいじゃん、と言われればそれまでだが・・・)、後から振り返る、という観点からは、電子媒体で残すより紙で残しておいた方が私にとっては有効である。おまけに、キーボードで叩いた文章より、ペンで紙に書いた文章の方が、頭に残っているのだ。

来年は、どんなことにアンテナを張るか、自分自身でも楽しみである。
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今日、目にした新聞のコラムに、大手銀行が政治献金を再会することを取り上げたものがあった。

その際、与謝野晶子が衆議院を批判して詠んだ歌が添えられていた。

それを見たとき、大臣まで経験された与謝野馨氏が孫に当たることを思い出した。

「まさか自分の子孫が、その批判した衆議院で代議士をやるとは、夢にも思わなかったろう」。
今日の雑記帳は、それでしめくくるはずだった。

ところが、ネットで馨氏の名前を入れて検索してみたところ、新たなところに関心が向いた。

馨氏の母、晶子の嫁にあたる、与謝野道子さんだ。

道子さんが生涯のパートナーとなった、晶子の次男は、外交官を勤めていた。
外交官夫人となった道子さんは、その経験を元に、夫の死後、マナーや交際などについて執筆や講演活動をされていた。

子供の頃、自分があこがれていた外交官の世界(今とはだいぶ違うことは百も承知だが)を垣間見る、そして、自分が欠けていると思われるマナーを知る、そんな目的で、道子さんの著作を今度手に取ってみることにしよう。

しかし、書店が開いてる時間に帰れるのはいつ訪れることやら。。
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先週あたりから、阪急梅田で電車に乗る時間が23時台後半になることが増えている。

忘年会続き、と言いたいところだが、仕事でのこと。
(正直、今の体調&気分では、悪酔いが見えているので酒は飲みたくない)

この時間帯になると、阪急梅田駅のホームには、決まって映画「第三の男」のテーマが流れている。(あ、エビスのCMで流れるアレね、と思った方、呑み助ですね^m^)

最初の頃は心地よいと思っていたこの調べ、さすがに今は「あーあ、またこれ聞きながらの帰宅か」とため息混じりに耳に入れている。

電車の中は、忘年会で酔っ払った人ばかり、と思いきやさにあらず。私と同じようにやっと仕事を上がって家路につく人、専門学校の教材らしきものを開いて一生懸命勉強している人など、様々だ。

皆それぞれに頑張ってるんだよな。そんな当たり前のことを再認識した、月曜の帰り道であった。
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それは、8月に始まった。

YK演奏会を聴きに来た両親を、初めて我が家に招いたときの会話が始まりだった。

生きているうちに墓を作っておきたい。で、代々引き継がれる家系ではないから、永代供養してくれるところを探している。それも、私が地元に戻る可能性がほとんどない実情を考えて関西で。

寝耳に水の話だった。しかし、子供に手間をかけさせたくない、という配慮が十二分に込められた話だった。

何箇所か候補を上げ、墓を建てる場所に決めたのは、京都の東福寺。

といっても、訪れた方はご存知と思うが、東福寺の中にはいくつかの院があり、その中のひとつ、霊源院に、墓を建てることに決めたのだ。

9月、ちょうどNC合宿の頃に寺を訪れ、契約を交わす。

その墓がこのたび完成し、今日、埼玉から両親もやってきて、開眼供養を行ってきた。
当面この墓には誰も入らないため、先祖代々の魂を入れてもらってきた。

親類縁者もいない関西に、一つ、心のよりどころができた。
折に触れて訪れることにしよう。
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履修単位不足問題、いじめに関する問題など、学校や教育がニュースに採り上げられる機会が増えている。いや、実はこれまで関心をあまり持っていなかっただけ、というべきか。

その度に、信じられない、という思いにかられる。

上記以外にも、耳を疑う話題としてこんなことがある。


・朝、起きられずに学校に出てこない児童のために、教師が交代で「モーニングコール」をかける小学校、そして、これに対し「昨夜寝るのが遅かったから仕方がない」「いちいちうるさいわね」という受け答えをする親


・親元を離れて通学している学生が「休みになっても全然実家に帰ってこない」という親御さんの申し入れを受け、帰省のためのお金の支給を検討する私立大学


・・・・・問題は、学校だけでなく家庭にも一杯あるようだ。

全ての元凶は、やはり家庭にあるのでは?

・・・と、家庭を持たない私が言っても説得力がないのであった。
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