音で絵を描く
合唱の練習で「言葉を大事に」という指示が飛ぶことがある。
外国語はもちろんのこと、日本語の曲でも「何と言っているのかわからない」という事態に対して言われることが多い。
最近の自分にもその傾向があったのだが、音が取れた、楽譜に書かれているダイナミクスがそれなりに表現できている気になっている(実は全然できていないのだが)、というレベルで「歌えている」という錯覚に陥ってしまうのである。
音楽に言葉を使用していない楽器だって、奏で方ひとつでいろいろな表情を出すことができる。
人の声だってそれができるはずだ。しかも言葉という強い味方がいるのだから、楽器以上に表現できる範囲が広がるのではないかと思っている。
一次的には、語るように歌うことが大事。「小節頭は強めに」をかたくなに守って助詞や語尾がやたら強くなってしまう、という事態を一刻も早く卒業しておかなければならない。
それができるようになったら、その詩が描く風景を、しっかりと頭の中に作り出し、歌で表現してみる。
結局のところ、目指すのは、歌で絵を描くことではないか。
早速、これから取り組む曲たちで実践である。
外国語はもちろんのこと、日本語の曲でも「何と言っているのかわからない」という事態に対して言われることが多い。
最近の自分にもその傾向があったのだが、音が取れた、楽譜に書かれているダイナミクスがそれなりに表現できている気になっている(実は全然できていないのだが)、というレベルで「歌えている」という錯覚に陥ってしまうのである。
音楽に言葉を使用していない楽器だって、奏で方ひとつでいろいろな表情を出すことができる。
人の声だってそれができるはずだ。しかも言葉という強い味方がいるのだから、楽器以上に表現できる範囲が広がるのではないかと思っている。
一次的には、語るように歌うことが大事。「小節頭は強めに」をかたくなに守って助詞や語尾がやたら強くなってしまう、という事態を一刻も早く卒業しておかなければならない。
それができるようになったら、その詩が描く風景を、しっかりと頭の中に作り出し、歌で表現してみる。
結局のところ、目指すのは、歌で絵を描くことではないか。
早速、これから取り組む曲たちで実践である。
by h-katopon
| 2011-05-21 00:14
| 音楽