Sorry

私が普段仕事をしている建屋は、築40年近くという、非常に年期の入った建物である。
まぁ、上には上があるもので、工場の敷地内には、かつての海軍工廠時代から使っていた建物で、いまだに現役として活躍しているものがあるのだが。

数年前、世間をにぎわせた耐震構造の問題が職場の建物にもあり、その対策で柱を補強したほか、窓枠も新しいものに変えた。これにより、窓ガラスが綺麗になったのはいいのだが、窓があると気づかずに突っ込んできて衝突する鳥が続出している。

ぶち当たったあとは、さすがに痛そうで、足を引きずりながらしばらくじっとしており、落ち着いたところでまた飛び立っていく、という鳥が多数だが、今日ぶち当たった鳥は、不幸にも打ち場所がわるかったのか、命を落としてしまった。自分が窓ガラスを変えた訳ではないのだが、「申し訳ないな」という思いに駆られる出来事だった。


この話とは無関係なのだが、「申し訳ない」で思い出したエピソードがある。


職場の人と、徳山のある飲食店で食事をしていた(飲んでいた とも言う 笑)ときのこと。
そこは、魚が中心の店で、モノによっては、生簀で泳いでいるのを取り、その場で料理してくれるのだった。

ちょうど、烏賊の活造りが出された時のことだった。
ついさっきまで泳いでいたものであり、足も、胴体も動いている状態で食卓に出されたのだ。

その際、同行者が、同じ店に、米国の関係会社のスタッフを連れてきたときのエピソードを話してくれた。

その時も、同じ烏賊の活造りが出されたそうだ。そして、その米国人は、"Sorry."と烏賊に一言声をかけてから食べたのだそうだ。

「食材の命をいただく」という意味も込められている「いただきます」。この言葉を発するのは日本人以外にはいないようだが、「命をいただく」の思いは、日本人以外にも頂いている人がいるんだな、と感心した出来事だった。

一方で、「お金を払っているんだから」という理由で、学校給食で「いただきます」を言わなくなっている、という話をネットで見かけた。ちょっと悲しい話である。「本来、何のために言っているのか」を考えれば、そんな馬鹿げた事態も少しは避けられるんじゃないかな。それとも、工場で加工されたものばかり食べることに慣れて、命をいただく、なんて感覚はなくなってるのだろうか。
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